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栄養士さんのワンポイントアドバイス

第十回『お正月料理と学校給食記念日について』
 明けましておめでとうございます。2018年になりましたね!2017年は皆さんにとってどのような年だったでしょうか。寒さが厳しいですが1月の給食もしっかり食べて元気に過ごしましょう!

 お正月に御節料理を食べた方がほとんどではないでしょうか。御節を食べる風習は古く、弥生時代から始まったと言われています。その重箱に入った御節料理にはそれぞれ意味があります。今では洋風な御節もありますが一般的な御節の話をしますと、一の重には数の子(子孫繁栄)・田作り(豊作祈願)・黒豆(無病息災)・たたきごぼう(家業安泰)・紅白かまぼこ(縁起担ぎ)・伊達巻(学問成就)・栗きんとん(金運を呼ぶ)といったお屠蘇や口取りが詰められています。次に二の重には、一の重に入らなかったものや口代わりに酢の物や焼き物を詰めます。酢の物として代表的なものは紅白なます(平安祈願)・ちょろぎ(長寿祈願)・酢蓮根(見通しの良い将来)・菊花かぶ(長寿祈願)があります。焼き物には出世魚として有名な鰤、腰が曲がるまで長生きをと海老、めでたいの語呂合わせから鯛、「うなぎのぼり」から近年は出世祈願に鰻も用いられます。最後に三の重には季節の野菜をたっぷり使った煮物(昆布巻やくわい等)が入り、こちらも家庭安泰や子孫繁栄、長寿祈願といった様々な意味を持っており古くから正月に食べられてきました。
また、御節と併せて雑煮や焼餅などお餅も食べられますね。正月にお餅を食べる風習は平安時代に宮中で健康・長寿祈願として行われていた「歯固めの儀」が由来とされています。餅は神様に捧げる神聖な食べ物で、お供えした餅を神棚から下げ、お供え物を頂くことで一年の無病息災を願う意味が込められているとされます。このように、「良い一年間であるように。」と年の始まりに縁起を担ぐことは今も昔も変わらないものですね。

次に、学校給食記念日についてお話しします。学校給食の歴史は明治22年の山形県忠愛小学校で、貧しくてお弁当を持ってこられない子供のために、おむすびと塩鮭、漬物を出したことが始まりとされます。その後戦争がはじまり、第2次世界大戦後の日本は食べ物が大変不足していました。その中で子供たちのために、昭和22年にララ基金(アジア救済公認団体)が救援物資を送ってくれ、お腹を空かせた子供たちに栄養のある給食を再開させることができました。全国都市の児童300万人に対して脱脂粉乳・トマトシチュー等が提供され、昭和25年7月には八大都市の小学校児童に対して、米国寄贈の小麦粉により初めて完全給食が実施されました。その感謝の心から、救援物資の贈呈式が行われた12月24日は学校が冬休みに当たることから、昭和25年に給食記念日を1月24日とし、24日を含む1週間(1/24~30迄)を「全国学校給食週間」としました。昭和39年8月、文部・農林次官通達「学校給食牛乳供給事業について」が出され、学校給食への牛乳本格供給が始まり、昭和51年4月には米飯が正式に給食に導入され、アルファー化米からご飯給食が始まりました。当時からみると現在は食材が豊かになり、国際交流が盛んになり給食内容もバラエティ豊かになりました。また地産地消の考えから地場産の食材使用も増えています。
小学生になると毎日給食に牛乳が提供されるようになります。「アレルギーではないけれど牛乳は嫌い。」という方もいますが、栄養価の高い食品として牛乳を提供できるようになるまでには様々な方からの様々な支援の歴史があったのですね。美味しい食事が食べられることが当たり前になり、私自身も時折忘れそうになります。今では戦後とは真逆に食材に溢れ残食としてゴミになるものが多く、日本の抱える問題の一つです。スケールの大きな話になりましたが、給食での好き嫌いや残食はこのことをコンパクトに身近に私たちに伝えているような気がします。
これからも皆さんはグングン成長し給食以外でも様々な食材と触れ合っていきます。まだ未経験な食材もあることだと思いますし、今は味覚や味の好みも形成されていく時期でもあります。無理のない範囲で、これらの給食の歴史に感謝しつつ給食も他の食事も楽しんでもらえると幸いです。
                          栄養士:花田
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